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2019年末から2020年の年明けは、ムスメとドイツにいました。今回はドイツ旅行思い出話の続きです。
日本のコロナは少し落ち着きつつありますが、ヨーロッパでは再拡大中。かつてのように、自由に旅行する気分にはまだ当分なれそうもないので、せめて気分だけでも世界旅行気分を味わいたいですよね!!
お付き合いいただけたら幸いです。
ミュンヘン(München)で年越し
フライブルク(Freiburg im Breisgau)で友人との楽しい再会を果たしたあと、ワタシたち母子はミュンヘンへ向かいました。
ドイツの南西に位置するフライブルグから南東のミュンヘンまで列車での移動です。スーツケースを引っ張りながら、3回電車を乗り替えて弱4時間ほどかかりました。
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ミュンヘン到着は、12月31日午後8時を過ぎていました。日本はとっくに年が明けています。(時差9時間)日本で留守番している家族へは、移動の電車の中からLINEで「あけましておめでとう」のメッセージは送信済みです。
長旅で、レストランへ行く元気もなく、ミュンヘン中央駅構内のマーケットでソーセージやポテトなどを買って、ホテルにチェックイン。
日本から持ってきた小さな「緑のたぬき」(カップ蕎麦)もカバンから出し、お湯を沸かせば、年越しの準備はできました。2回目の「あけましておめでとう!」
空きっ腹を黙らせて少し休憩をしたあと、異国での初めての年越しを体験するために街へ出てみることにしました。
車道だろうが路地だろうが、あちこちで花火を打ち上げる爆音と、車のクラクション、人々の歓声で街中大騒ぎです。
突然背後から破裂音がしたかと思ったら、それと同時に、渡ろうとしていた横断歩道の向こう側で火花がパチパチパチ〜ッ!
どれもかなりの近距離で、周りのことなど見ちゃいない若者たちの乱痴気騒ぎに、少し恐怖も感じてきたので、怪我をしないうちにと早々にホテルの部屋に戻りました。
ワタシの2020年の幕開けはこんな感じでした。
この年は、誰しもオリンピックで盛り上がる年になると思っていました。あの忌まわしきコロナ禍に世界中が深く沈みこむことになるなんて思ってもみないことでした。
ミュンヘンの観光スポット
ドイツは16の州で成り立っている連邦共和国です。ミュンヘンはその中でも、チェコ・オーストリア・リヒテンシュタインなどの国境に接した、南ドイツ「バイエルン州」の州都です。バイエルン州は、ドイツの中で最も大きい州です。
産業も栄えており、ドイツ車を代表するBMWとアウディの本社があります。
バイエルン州は、方言や風習、文化などの違いから、さらに3つの地域に分けられています。北部のフランケン、南西部のシュバーベン、南部と東部がアルトバイエルンです。
マリエン広場(Marienplatz)周辺
ミュンヘン中央駅近くのホテルに滞在しました。
旧市街地中心部に位置する「マリエン広場」まで地下鉄で移動し、ここから散策をスタートします。中央駅方向(西へ)向かって歩いて15分程度いくと、カールス広場(Karlsplatz)に出ます。この歩行者天国になっている「ノイハウザー通り(Neuhauser St.)」には、たくさんのお店やレストランが立ち並んでいて買い物や食事など、大体のことはこの辺りで済ませる事ができます。
マリエン広場のランドマーク新市庁舎
写真では真ん中が影になってしまってよく見えませんが、カラクリ時計があって、定刻になると1日に何度か、音楽が鳴りからくり人形がたくさん出てきて、パレードをします。
旧市庁舎(Altes Rathaus)
新市庁舎に対して、旧市庁舎もマリエン広場にあります。こちらは第二次世界大戦で焼失しているので、現在の建物は復元したものになります。この可愛い建物は、今ではおもちゃ博物館として使われています。
レジデンツ・ミュンヘン(Residenz Munchen)
10世紀に神聖ローマ帝国がバイエルン公国を設立してから、ドイツ革命(1918年)で王政が滅ぶまでの間、ヴィッテルスバッハ王家(Haus Wittelsbach)がバイエルンを治めていました。レジデンツ・ミュンヘンは、このヴィッテルスバッハ王家の王宮です。
現在は、博物館や劇場として、内部を公開しています。
訪問したのが元日ということもあってあいにくの閉館日。絢爛豪華な内部を見ることはできませんでした。
ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg)
バイエルン大公の夏の居城です。内部は一般公開されていますが、休館日だったので、内部の見学は叶いませんでした。
ドイツに「正月三が日」の風習はないけれど、さすがに元日は公休日なんですね。
ディズニーも憧れた?最も有名な美しい城は未完成!?
ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)
世界的に最も有名なお城といっても過言ではないかもしれません。
ディズニーのシンデレラ城のモデルになっているといわれています。
ミュンヘンからさらに南下し、オーストリアやリヒテンシュタインの国境近く、オストアルゴイ群フュッセン(Fussen)にあります。ミュンヘンからちょっと遠くて、電車で行くのも不便だし、入城に整理券も必要なため、入城予約チケット込みの便利なバスツアーを申し込みました。
パッケージツアーなら主催の旅行会社でオプショナルツアーを申し込めますが、フリーなトラベラーでも「VELTRA」ならオプショナルツアーに参加する事ができます。日本からネットで事前予約が可能で、とっても便利!日本国内のツアーも豊富です。
ノイシュバンシュタイン城は、バイエルン国王ルートヴィヒ2世(Ludwig Ⅱ)によって19世紀に建築されました。
ルートヴィヒ2世というひととなりは、破滅的浪費家で、好みが偏った偏屈者、狂った王様といわれることが多く、このお城を訪れるまで、ワタシも狂気的な荒々しい王様の印象を持っていました。
ところが、ツアーに参加しているとこの印象がちょっと違うものに思えてきたのです。浪費家であることに違いはないのだけど、彼はとても繊細な心の持ち主で、生涯孤独を抱きしめて生きてきた人だったと知ると、哀れで同情心すら湧いてきました。
お城を撮影するスポットは、近くの丘に登ったところのマリエン橋から撮影するのがベストです。ワタシはあまり上手に撮影できなかったので、上の写真は、画像サイトCanvaからお借りしています。
こちらの写真はワタシが撮影しました。マリエン橋からは雪を被ったアルプスの山々も見えます。左の湖はアルプ湖。右下にある黄色いお城は「ホーエンシュヴァンガウ城(Schloss Hohenschwangau)」といいます。1832年に、ルートヴィヒ2世の父親である、マクシミリアン2世が12世紀に建設され廃墟になっていた城を買取って整備しました。ルートヴィヒ2世も幼い頃、この城で過ごしたそうです。
ルートヴィヒ2世は、作曲家リヒャルト・ワーグナーに心酔し、幾度も城に呼んで演奏会をさせます。経済的に逼迫していたワーグナーにとっては願ってもないことでしたが、これが多くの家臣たちの不満を招くことになります。近臣たちとの対立などから、ルートヴィヒはますます執務を嫌うようになり、豪華な城の建築に傾倒していきます。
自分の趣味に、湯水の如く国の金を使うので、国政は悪化の一途をたどります。近臣たちは、ルートヴィヒ2世を精神病と認定し、統治不能として廃位に追い込みます。ルートヴィヒ2世は、その翌日、不審の死を遂げます。
ノイシュバインシュタイン城は、未完成のまま、今に至っています。
前回の記事で、ドイツの都市名に「Burg(ブルク)」が多く、城塞の意味があるというお話をしましたが「Schloss(シュロス)」も城という意味です。
前者のブルクは、戦いのための守備城を表すのに対し、16世紀ごろから作られ始める絢爛豪華な装飾を施した王様の住まいとして用いる城をシュロスと呼びます。
「ノイ(Neu)」は「新しい」、「シュバイン(Schwan)=白鳥」、「stein(シュテイン)=石造」を意味し、「石造りの、新しい、白鳥の城」ということになります。
間違っても、「シュバイン」を「バイン」と呼び間違えないように気をつけましょうね!
「バイン」=「Bein」=「豚肉」です。
※アイスバイン=ドイツの代表的な料理で、豚のスネ肉を塩漬けにして、香辛料や香菜を入れて煮込んだ料理です。ドイツの料理には、だいたいザワークラフトが大量に添えられています。ザワークラフトは、キャベツの漬物。酸っぱくてワタシはちと苦手・・。
VELTRAのオプショナルツアーは、これで終わりません。
ヴィース巡礼教会(世界遺産)
フュッセンの牧草地帯にひっそり佇むヴィース巡礼教会は、1745~54年建築。
外装の質素さとは全く違い、内装はとっても煌びやかで豪華なロココ装飾の教会です。農夫が「鞭打たれるキリスト」の木像をとある修道士からもらいうけたところ、14日にキリストの像が涙を流したといいます。(キリストは14日の金曜日に処刑されています)これを「ヴィーナスの涙の奇跡」と信仰する巡礼者が、この農家へ集まるようになったことから、浄財を集めるなどして、教会を建立することになったといいます。
リンダーホーフ城(Schloss Linderhof)
これもルートヴィヒ2世が建立したお城です。彼は生前3つの城の建設を手掛けましたが、唯一完成したのが、このリンダーホーフ城です。完成後、長くこの城に滞在しました。
フランスのヴェルサイユ宮殿内トリアノン宮殿を手本に設計され、ルネッサンス様式の建築物で、内装はロココ様式の絢爛豪華な装飾がされています。
ルートヴィヒ2世は、こよなくルイ14世を敬愛しており、城内には、ルイ14世のほかルイ15世や、マリーアントアネットの像が置かれ、あたかも生きているかのように話しかけたり、挨拶をしたりしたといいます。彼の夢想を邪魔しないように、食堂へは給仕に人が立ち入ることがないよう、テーブルが迫り上がってくるような装置も造られていました。
精神病と認定されてしまいましたが、親戚であり親友でもあったエリザベートは、ルートヴィヒ2世の死後、「彼は精神病ではありません。ただ夢を見ていただけなのです。」と述べたといいます。
集合時間は朝の7時と早いのですが、たっぷり一日、いろんなところを訪問できて、日本語を話すガイドさんがつき、バスでホテルの近くまで帰ってこられるから楽ちんだし、とってもお得だと思います。VELTRAおすすめです!
まとめ
ミュンヘンは大きな街なので、他にも見所はたくさんありますが、この後、ローテンブルクへ移動する予定の私たちのミュンヘン滞在は、二泊三日です。欲張りドイツ旅行は、まだ続きます・・と思います。